MENU

『めおと日和』の昭和12年はどんな時代?日中戦争と暮らしの変化

『波うららかに、めおと日和』続編の舞台、昭和12年は西暦1937年です。7月に日中戦争が始まり、日本国内でも軍の必要とする物資を優先する統制が進み始めました。

ただ、戦争が始まったからといって、その日からすべての家庭の食卓が変わったわけではありません。国家総動員法は翌年、砂糖や小麦の配給はさらに後。戦争の時代にも、暮らしが変わっていく順序がありました。

二人が夕飯を囲んでいる頃、その暮らしの外では何が起きていたのでしょうか。

『めおと日和』が描くのは、昭和12年の夏から秋へ移る頃。瀧昌となつ美の暮らしを取り巻く出来事を、月と年を分けてたどります。

スポンサーリンク
目次

この記事のポイント

Q1. 昭和12年は、もう戦争が始まっていたの?

はい。7月7日の盧溝橋事件をきっかけに日中戦争が始まり、8月には上海でも戦闘が広がりました。『めおと日和』続編が描く夏から秋は、その時期に重なります。

Q2. 瀧昌のような海軍軍人も、日中戦争に関係するの?

海軍も日中戦争に関わっています。上海では、海軍に属する陸戦隊が陸上で戦いました。ただし、それがそのまま瀧昌の任務を示すわけではありません。

Q3. 戦争が始まると、食事もすぐ貧しくなったの?

すべての家庭で、一度に食事が乏しくなったわけではありません。昭和12年には軍需を優先する統制が進み始めますが、砂糖や小麦の配給は後年のこと。戦争の始まりと、暮らしの変化には時間差があります。

昭和12年は1937年|『めおと日和』の二人が暮らす時代

めおと日和

昭和12年は、日中戦争が始まった1937年です。続編の舞台は、その年の夏から秋へ移る頃。

瀧昌となつ美は、結婚して二年目を迎えています。
二人の関係には前作からの時間が積もる一方、家の外では戦争が広がっていく。

「昭和の新婚夫婦」とだけ見るのと、「1937年の夏から秋を生きる夫婦」として見るのとでは、軍服姿の夫が家にいる時間も、少し違って感じられるのではないでしょうか。

続編の舞台は、昭和12年の夏から秋へ

フジテレビの続編制作発表は、物語の舞台を昭和12年としています。

季節の手がかりは、なつ美の着物にもありました。
公式の撮影レポートに紹介されているのは、秋の七草の「萩」の柄。
「夏から秋にうつろう時期」を彩る衣装だと説明されています。

年号だけでなく、着物の柄からも季節が分かるのですね。

歴史上では、7月に北京郊外で日中両軍が衝突し、8月には上海でも戦闘が始まる頃。
二人の穏やかな暮らしと、中国で広がる戦争が、同じ暦の上にあります。

「戦前」と呼ばれる時代にも、戦争は起きていた

昭和12年は、太平洋戦争が始まる前です。
しかし、中国では日中戦争が始まった年でもありました。

日本がアメリカ・イギリスとの戦争に踏み出すのは、4年後の1941年12月8日。
アジア歴史資料センターの解説は、マレー半島への上陸、真珠湾攻撃、対米英宣戦を紹介しています。

「戦前」と聞くと、まだ戦争のない時代を思い浮かべることもあるでしょう。
けれど、太平洋戦争前という区切りだけでは、すでに中国で起きていた戦闘が抜け落ちてしまう。

日本の家庭では夕飯の時間が続き、中国の都市では戦いが広がっていた。
なおじ(筆者)には、この二つを同時に考えることが、昭和12年を知る出発点に思えます。

瀧昌自身の人物像や、なつ美との夫婦関係は、役柄の記事で紹介しています。

👉関連記事:本田響矢が演じる瀧昌の人物像と、続編での夫婦関係

昭和12年に何が起きた?7月から戦争が拡大

昭和12年の夏から年末にかけて、戦闘は北京郊外から上海へ広がり、日本軍は南京を占領しました。

出来事を順に並べると、半年ほどの間に戦争が広がったことが分かります。

時期出来事何が起きたか・どう変わったか
1937年7月7日北京郊外で盧溝橋事件が発生日中両軍の衝突が、日中戦争へ広がる契機となった。
7月11日日本政府の閣議で派兵を決定現地の衝突に、さらに兵力が投入されることになった。
7月29日通州事件が発生冀東防共自治政府の中国人保安隊が反乱を起こし、日本軍の部隊や、日本人・朝鮮人の居留民を襲撃・殺害した通州事件が発生した
8月13日第二次上海事変が始まる中国北部だけでなく、上海でも戦闘が拡大した。
12月13日日本軍が南京を占領外務省は、南京入城後に非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できないとする一方、被害者数には諸説があり、日本政府としてどの人数が正しいかを認定することは困難だと説明している。mofa.go

年表は、アジア歴史資料センターの日中戦争の解説、上海海軍特別陸戦隊の解説、南京占領に関する説明をもとにしています。

南京占領は12月の出来事です。
ドラマの夏から秋という季節より、先に進んだところまで載せています。

7月の事件、8月の上海、12月の南京。
「昭和12年」という一つの年号の中でも、月が進むにつれて状況は変わっていきました。

7月7日、盧溝橋事件から日中戦争へ

盧溝橋事件は、1937年7月7日、北京郊外の盧溝橋付近で起きた日中両軍の衝突です。

その後、現地では停戦協定が成立。
一方、日本政府は7月11日の閣議で派兵を決めました。

アジア歴史資料センターの解説には、当初は局地的な衝突で、日中双方とも不拡大の方針を取っていたものの、戦力が次々に投入され、戦争が長期化した経過が示されています。

なおじが引っかかるのは、停戦の動きもあったというところです。
事件が起きた瞬間から、その後のすべてが決まっていたわけではない。

兵を送ると決めたのは誰か。
その後、どこへ戦力を投入したのか。
「戦争になった」という短い言葉の中には、幾つもの判断と行動があります。

8月、上海にも戦闘が広がる

8月13日には、上海で第二次上海事変が始まりました。

北京は中国北部、上海は長江の河口に近い都市。
盧溝橋付近の衝突だけでは済まなくなったのです。

上海海軍特別陸戦隊の解説には、海軍陸戦隊と中国軍の戦闘、陸軍の上海派遣軍が到着した後も続いた激しい市街戦が記されています。

「市街戦」という言葉が、なおじには重く感じられます。
戦場になったのは、人のいない土地ではなく、道路や建物のある都市。
そこには、戦闘が始まる前から暮らしていた人々がいました。

12月、南京占領へ|戦争で暮らしを壊された人々

日本軍は1937年12月13日、中国の国民政府の首都だった南京を占領しました。

アジア歴史資料センターの「公文書に見る日米交渉」は、攻略に伴い、日本軍に非戦闘員の殺害や略奪があったことも説明しています。

瀧昌となつ美には、幸せでいてほしい。
けれど、歴史をたどると、その願いだけでは読み進められないところにも行き当たります。

瀧昌は海軍軍人|日中戦争に海軍はどう関わった?

日中戦争には、陸軍だけでなく海軍も関わっていました。
上海では、海軍に属する陸戦隊が陸上で戦っています。

海軍と聞けば、軍艦や海の上の戦いが浮かびますよね。
しかし、当時の海軍の仕事は、それだけではありませんでした。

上海で戦った「海軍陸戦隊」とは

海軍陸戦隊は、海軍に属し、陸上での警備や戦闘を担う部隊です。

アジア歴史資料センターの解説が紹介する上海海軍特別陸戦隊の任務は、在留日本人の生命・財産や日本側の権益を守り、租界を防衛すること。

租界は、中国の都市に設けられた外国人の居留区域です。
この部隊は1932年から上海に常駐し、1937年の戦闘に参加しました。

瀧昌の所属や任務とは分けて読む必要がありますが、「中国での陸上の戦いだから、海軍とは関係がない」とは言えないわけですね。

軍服姿の人物を一人見るだけでも、その背後には、船の上だけではない海軍の活動があった。
瀧昌の時代を考える手がかりになります。

軍需が優先される社会と、軍人家庭の日常

昭和12年以降、物を作り、運び、使う場面では、軍の必要とする分を優先する動きが強まりました。

食料や日用品も、その対象です。
アジア歴史資料センターの戦時統制の解説は、生産・流通・消費で軍需が優先されるようになったと説明しています。

ただ、軍に届ける食料を優先することと、軍人の家族が家で何を食べられるかは、同じではありません。
軍人の夫がいるから、その家の食卓まで十分だったとは言えないのですね。

『めおと日和』の瀧昌は海軍軍人ですが、二人が家で食べる夕飯は、軍の部隊で出される食事とは別のものです。

なおじが気になるのは、夫が軍人なら家族も不自由しなかったのだろう、と考えてしまいやすいところ。
夫の職業だけで、妻が毎日の食事をどう整えていたかまでは分かりません。

江端家の食卓を考えるにも、軍への物資供給と、家庭が食料を手に入れる事情を分けておきたいと思います。

昭和12年の暮らし|日常は一度に消えたのではない

昭和12年には経済統制が本格化しましたが、食料の配給がすべてその年に始まったわけではありません。

まず、参照した公的解説が示す制度の順序を並べます。

年主な制度・動き暮らしとの関わり
昭和12年・1937年輸出入品等臨時措置法が施行政府が輸出入を制限し、それを通じて生産・流通・消費を統制する権限を持つ
昭和13年・1938年国家総動員法が施行戦争遂行のため、人や物、経済活動を広く統制する仕組みが整えられる
昭和15年・1940年砂糖・小麦の配給制を導入原材料の供給が配給によって制限され、菓子作りなどにも影響が及ぶ

出典は、アジア歴史資料センターの砂糖・菓子と戦時統制に関する解説です。
品目ごとの仕組みや地域による実施状況を、すべて同一とする表ではありません。

なおじは昭和30年代の生まれです。
子どもの頃を思い返すと、まだ戦後の匂いが残っていました。
近所には、手のない人も、足のない人もいた。

そうした大人の子と友達になり、その家へ遊びに行ったとき、食事をごちそうになったことがあります。その食事の貧しさに、びっくりしました。

わが家は両親が教師でしたから、曲がりなりにも豊かだったのだと思います。
当時は「これが戦争の爪痕か」と、自分の家との違いに驚くばかりでした‥。

戦争の映像を見ると、その悲惨さに目頭が熱くなることがあります。
子どもの頃に出会った人たちや、ごちそうになった食事を、今でも覚えているからかもしれません。

ただ、なおじが覚えているのは戦後の暮らし。
『めおと日和』の二人がいるのは、それより前の昭和12年です。

なつ美の用意する夕飯に、なおじの子ども時代とは違う豊かさがあっても、不思議ではないのでしょう。
あの頃の記憶は胸に置きながら、二人が暮らす昭和12年には何が始まり、何がまだ始まっていなかったのかを、たどりたいと思います。

昭和12年に始まる統制と、翌年の国家総動員法

1937年の輸出入品等臨時措置法は、政府が輸出入を制限し、それを通じて国内の生産・流通・消費にも制限を及ぼす仕組みでした。

翌1938年には、国家総動員法が施行されます。
戦争のために人や物を動員し、物の流れや貿易、価格などを、政府が広く統制する仕組みです。

物が店にあるかどうかは、その店だけの問題ではなくなっていく。
原料を輸入できるのか、何を優先して作るのか、どこへ回すのか。
そうした判断が、日々の買い物にもつながっていきました。

昭和12年の暮らしは、翌年以降とまったく同じではない。
それでも、暮らしを戦争に合わせて動かす制度は、すでに増え始めていたのですね。

砂糖・小麦の配給は、昭和12年より後

参照したアジア歴史資料センターの解説では、砂糖や小麦の配給は、1940年5月の閣議決定に基づき、翌6月から導入されたと説明されています。

昭和12年から3年後の話です。
その後も戦争の進行や輸送の悪化などが重なり、砂糖はさらに手に入りにくくなっていきました。

だから、昭和12年の食卓に甘いものがあることと、戦争が始まっていることは、矛盾しません。

軍への物資供給を優先する政策は進んでいる。
でも、家庭で食べる楽しみが、その日にすべて消えるわけではない。
二つは同時に起きていたのです。

なつ美の食事や着物が明るく見えるからこそ、その外で進んでいた戦争にも気づく。
なおじには、楽しそうな暮らしと戦争を別々の時代に分けないことが、この作品を通して昭和12年を考える意味に思えます。

よくある質問

昭和11年には、まだ戦争は起きていなかった?

昭和11年は1936年で、日中戦争が始まる前年です。ただし、日本の対外軍事行動がなかった時代ではありません。
国立公文書館の満州事変の解説は、1931年9月18日から関東軍が軍事行動を開始した経緯を紹介しています。
「前作の時代は平和で、続編から突然戦争になった」と分けると、それ以前に中国で起きていた出来事が抜け落ちてしまいます。

「支那事変」と「日中戦争」は別の戦争?

1937年からの日中戦争について、当時の日本側の資料では「支那事変」という呼び方が使われています。
アジア歴史資料センターの解説にも、両方の表記があります。「事変」という名称でも、実際には大きな兵力が投入され、広い範囲で戦闘が続いていました。

昭和12年の呉も、すでに空襲を受けていた?

呉市の年表に記された大規模な空襲は、昭和20年・1945年の出来事です。昭和12年からは8年後。
呉市の「呉の歴史」には、3月19日の軍港を中心とする空襲、7月1日夜から翌朝にかけての市街地空襲などが掲載されています。
呉という地名から空襲を思い浮かべても、1937年の暮らしと1945年の被害は、年代を分けて考える必要があります。

歴史を知れば、瀧昌の結末も分かる?

歴史から分かるのは、戦争の経過や社会の変化です。瀧昌個人の結末は、『めおと日和』の物語として描かれるもの。
上海で戦闘があったからといって、瀧昌もそこへ行くと決まるわけではありません。
ただ、あの時代に海軍軍人の夫が家に帰り、妻と夕飯を囲んでいる。なおじには、その何でもない時間が、いっそう大事に思えてきます。

筆者紹介|なおじ

公立小・中学校で約35年、校長として11年、指導主事として5年、教育に携わりました。全国中学校社会科教育研究会元理事、元茨城県社会科研究部長。昭和30年代に生まれ、戦後の匂いが残る暮らしを子どもとして経験しました。

この記事では、国立公文書館・アジア歴史資料センターなどの公開資料と作品公式の説明を手がかりに、史実、ドラマの設定、筆者自身の記憶や見立てを分けています。

現在は8つのブログで、ドラマ・芸能・政治・歴史・スポーツ・旅・学び・書評を通して、人の生き方と社会のつながりを綴っています。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次