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水戸学とは?前期・中期・後期の違いをわかりやすく解説

水戸学とは、江戸時代の水戸藩で育った学問・思想です。徳川光圀が『大日本史』の編纂を始めたところから出発し、藤田幽谷、会沢正志斎、藤田東湖らを経て、歴史の見方だけでなく、国をどう守り、社会をどう立て直すかを問う思想へ育っていきました。

一言でいえば、『水戸学は、歴史から日本のあり方を考えた学問です。』

徳川光圀が歴史を書こうとした水戸から、なぜ尊王攘夷の思想が生まれたのか。水戸学をたどると、江戸時代の人々が「この国を誰が、どう支えるのか」と苦しみながら考えた足跡が見えてきます。

歴史の本を編む仕事が、やがて政治や教育を動かす力になる。その長い変化を、光圀、幽谷、正志斎、東湖の順に追ってみます。

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目次

水戸学とは|歴史から国のあり方を考えた学問

水戸学は、水戸藩で育った学問であり、やがて政治を動かす思想にもなりました。歴史を読み、正統を問い、国をどう守るかを考える。その問いが、時代とともに重くなっていったのです。

出発点は、水戸藩二代藩主・徳川光圀が始めた『大日本史』の編纂でした。

土台には朱子学があります。しかし、水戸学は儒学だけを学ぶものではありません。日本の歴史を調べる史学、古典を大切にする国学、神道的な考え方も重ねながら、「日本はどのような国で、誰が国を導くべきか」を考えました。

水戸学講義
観点水戸学の特徴
出発点徳川光圀による『大日本史』の編纂
学問の土台朱子学、史学、国学、神道
大きな問い日本の正統とは何か、国をどう守るか
思想の展開歴史研究から尊王攘夷・藩政改革・教育へ
代表的人物徳川光圀、藤田幽谷、会沢正志斎、藤田東湖、徳川斉昭

水戸学を単なる「尊王攘夷の思想」とだけ覚えると、大事な出発点を見失います。はじめにあったのは、史料を集め、何を正統と見るのかを問い直す仕事でした。

なおじには、水戸学は「歴史観」「倫理観」「政治観」を別々にせず、一つの問題として引き受けた学問に見えます。だからこそ後には、書物の中だけでなく、教育や藩政にも深く関わるようになったのでしょう。

👉関連記事:朱子学から見る水戸学の形成:儒教思想が生んだ日本独自の学問体系

前期・中期・後期水戸学の違い

水戸学講義3

水戸学の流れは、前期が歴史の土台づくり、中期が思想の転換、後期が政治と教育への展開と見ると分かりやすくなります。

区分主な人物中心となった課題水戸学の変化
前期水戸学徳川光圀、安積澹泊ら『大日本史』の編纂、正統をめぐる歴史認識歴史を調べ、正しい筋道を考える
中期水戸学藤田幽谷、立原翠軒ら名分、尊王論、幕府と朝廷の関係歴史研究を国家のあり方を問う思想へ進める
後期水戸学会沢正志斎、藤田東湖、徳川斉昭ら尊王攘夷、国体、藩政改革、教育、軍備思想を政治と教育の実践に結び付ける

前期・後期の二分法では、藤田幽谷を後期水戸学の出発点として置く場合もあります。それでも、光圀の時代の歴史編纂と、正志斎・東湖らが生きた幕末の政治思想との間をつなぐ人物として幽谷を見ると、水戸学がどう変わったかをつかみやすくなります。

前期は「歴史の整理」、中期は「思想の組み替え」、後期は「社会を動かす考え方」と覚えると、流れが見えてきます。

👉関連記事:維新の源流としての水戸学NO4「前期水戸学とは、後期水戸学とは」

前期水戸学|徳川光圀と『大日本史』が築いた歴史観

徳川光圀

前期水戸学の中心にいたのは、水戸藩二代藩主の徳川光圀です。

光圀は『大日本史』の編纂を始めました。これは昔の出来事を並べるだけの本ではありません。どの天皇を正統と見るのか、どのような行いが国を支えたのかを、史料に基づいて考える歴史書でした。

その代表的な論点が、南北朝時代です。水戸学は、三種の神器を受け継いだ南朝を正統と見る立場を示しました。一方で、現実には北朝系の天皇が続き、室町幕府や江戸幕府が長く社会を支えてきました。

ここには、「理念として正しい筋道」と「現実に社会を動かした力」が必ずしも同じではない、という難しい問題があります。

授業で南北朝を扱うと、「北朝側の武士は悪者だったのですか」と聞かれることがありました。そのとき私は、正統を問うことと、人を単純に善悪で裁くことは別だと伝えてきました。

光圀が始めた『大日本史』は、過去を飾るための本ではありませんでした。誰を正統と見るのかを決めることは、どんな行いを後世へ残すかを決めることでもあります。

史料を集め、書き比べ、歴史の筋道を探した人々の手元に、水戸学の出発点がありました。

👉関連記事:水戸学とは何か?前期水戸学の特徴と徳川光圀の思想を詳しく解説

👉関連記事:南北朝時代の正統性と水戸学:三種の神器から見る皇位継承の歴史

中期水戸学|藤田幽谷が変えた「日本を見る視点」

水戸学講義2

前期水戸学が歴史を編む学問だったとすれば、中期水戸学は、その歴史をもとに「今の社会をどう立て直すか」を問う段階でした。

その中心人物が藤田幽谷です。幽谷は1791年に『正名論』を著し、君臣や上下それぞれが果たすべき役割を明確にすることが社会の秩序を安定させると論じました。そこでは、天皇を尊ぶ考えに理論的な形が与えられています。

「正名」とは、立場や名前にふさわしい責任を果たすことです。将軍なら将軍の役目、藩主なら藩主の役目、家臣なら家臣の役目がある。それぞれが役割を果たさなければ、社会の秩序は崩れるという考え方でした。

幽谷が問うたのは、天皇を尊ぶ気持ちだけではありません。将軍、藩主、家臣が、それぞれの名にふさわしい責任を果たしているのか。

役目と現実がずれていけば、国の秩序まで揺らぐ。『正名論』には、その不安を見過ごせなかった目があるように感じます。

なおじには、幽谷の仕事は、前期の『大日本史』が積み重ねた歴史認識を、幕末へ向かう時代の問いに結び直したものに見えます。だから幽谷は、前期と後期をつなぐ人物として欠かせません。

👉関連記事:藤田幽谷が動かした中期水戸学:古着屋の息子が江戸を震撼させた理由

👉関連記事:維新の源流としての水戸学NO6『水戸学にとっての、立原翠軒と藤田幽谷』

後期水戸学|会沢正志斎・藤田東湖と尊王攘夷

藤田東湖 想像画

19世紀に入ると、日本の周辺には外国船が現れ、幕府や各藩は海防と政治の立て直しを迫られました。水戸藩でも、国を守るには何が必要かが切実な問題になります。

幽谷の弟子である会沢正志斎は、1825年に『新論』を著しました。『新論』では、国のまとまりを強め、政治を改め、軍備を充実させる必要を説き、その柱として尊王と攘夷を結び付けました。そこで「国体」という言葉も重要な意味を持つようになります。

尊王攘夷は、天皇を尊び、外国勢力を退けようとする考え方です。ただし、当時の水戸学者が直面していたのは、単純な外国嫌いではありません。外国船が近づく現実の中で、国を守る仕組み、民心をまとめる考え方、政治を動かす力をどうつくるかという危機意識でした。

藤田東湖は、徳川斉昭のもとで藩政改革と弘道館の理念づくりに関わりました。弘道館は、儒学だけでなく医学・武術・砲術なども学ぶ場として構想された水戸藩の藩校です。1841年に仮開館し、1857年に本開館式が行われました。

国を守るには、気持ちだけでは足りない。学び、鍛え、役に立つ知恵を身に付ける。その考えが、弘道館の中に形として残りました。

水戸学は、書物の中だけにあった思想ではありません。正志斎が書いた言葉と、東湖らが関わった学びの場。その二つが並ぶところに、後期水戸学の姿があります。

👉関連記事:会沢正志斎『新論』が幕末志士の心を揺さぶった理由|水戸学第8回

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水戸学と明治維新|なぜ幕末の志士に影響したのか

坂本竜馬
坂本竜馬(演者・福山雅治)

会沢正志斎の『新論』は、尊王と攘夷を結び付けた思想書として、幕末の尊王攘夷を考える際に欠かせない一冊になりました。けれど、水戸藩の人々が同じ答えにたどり着いたわけではありません。

水戸藩は徳川御三家の一つであり、将軍家を支える立場でもありました。天皇を尊ぶ思想を強めながらも、幕府をどう立て直すかという問題から簡単には離れられませんでした。

幕末の水戸藩では、桜田門外の変や天狗党の乱につながる激しい対立も起きます。尊王攘夷を掲げる人々が、同じ方向を見ていたわけではなかったのです。

桜田門外の変へ向かった人々も、天狗党の乱で命を落とした人々も、「尊王攘夷」という言葉に触れていました。

しかし、その言葉が示す行き先は一つではなかったのです。水戸藩の中で深まった対立は、思想が現実の政治へ踏み出したときの重さを残しています。

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水戸学を読む四つの言葉

水戸学講義4

尊王、攘夷、忠孝一致、文武不岐、国体。水戸学の言葉は、今の私たちには少し重く響くかもしれません。

ただ、これらは別々の標語ではありません。外からの危機を前に、国をまとめ、人を育て、行動へつなげようとする中で結び付いた言葉でした。

尊王と尊王攘夷

尊王は、天皇を尊ぶ考え方です。

尊王攘夷は、そこに外国勢力を退けようとする攘夷論が結び付いたものです。水戸学では、国をまとめ、外からの危機に備える考えとして重要になりました。

忠孝一致

弘道館の建学精神には「忠孝一致」が掲げられました。忠は公のために尽くすこと、孝は親を大切にすることです。

この二つを対立させず、同じ道徳の中で考えようとしました。ただ、国家への忠と家族への孝がいつも穏やかに重なるわけではありません。その難しさまで抱え込んだところに、水戸学の重さがあります。

文武不岐

文武不岐は、学問と武芸を切り離さずに考える言葉です。

弘道館では、書物を読むだけでも、武術だけでもなく、知識と行動の両方を身に付けることが目指されました。国を支えるには、学びと実行のどちらも欠かせない。その考えが、この言葉に表れています。

国体

『新論』で示された国体は、日本の建国の原理や、それに基づく国家のあり方を意味する言葉でした。

明治以降、この言葉はさらに強い政治的な意味を帯びていきます。だから今読むときは、幕末の危機の中で生まれた問題意識と、後の時代に広がった使われ方を、同じものとして重ねないことが大切です。

水戸学を授業や地域学習でどう学ぶか

JIN/坂本竜馬(演者・内野聖陽)

水戸学は、人物名や難しい用語を覚えるだけでは、あまり面白くなりません。

授業なら、南北朝の正統論を使って、「歴史書は何を基準に正統を決めるのか」と問いかけるところから始めるとよいでしょう。水戸学が南朝を正統とした理由を考えると、歴史を書くことには、資料の読み方だけでなく価値判断も関わると気付けます。

また、水戸では弘道館や水戸城跡を歩くことで、水戸学が教育や政治と結び付いていたことを実感できます。弘道館は徳川斉昭が改革の柱としてつくった藩校で、学問・武術・医学・砲術などを備えた大規模な教育施設でした。

地域学習では、「建物や碑文のどこに水戸学の価値観が表れているか」と問いを立てると、見学がただの散歩で終わりません。

弘道館の正門を前にすると、「藩校」という教科書の言葉が急に重くなります。ここでは、学ぶことも、鍛えることも、国を支える仕事の一つと考えられていました。

生徒が碑文の前で立ち止まり、「これは誰に向けた言葉ですか」と尋ねる。その瞬間に、水戸学は暗記する用語ではなくなります。

👉関連記事:今話題の水戸学って何?深作安文先生が教えてくれた「らしさ」の道徳学

水戸学をさらに深く知る関連記事

佐々助三郎

水戸学は、光圀から読んでも、幽谷から読んでも、弘道館から読んでも違う表情を見せます。気になった人物、一冊の書、ひとつの事件から、次のページを開いてみてください。

前期水戸学と徳川光圀

藤田幽谷と水戸学の転換

正統論と思想の土台

後期水戸学と幕末政治

弘道館から水戸学を読む

FAQ

水戸学についてよくある質問

水戸学とは簡単にいうと何ですか?

水戸学とは、水戸藩で育った学問・思想です。徳川光圀の『大日本史』編纂を出発点に、歴史から日本の正統や国のあり方を考え、幕末には尊王攘夷や藩政改革、教育へと広がりました。

前期・中期・後期水戸学の違いは何ですか?

前期水戸学は、『大日本史』を通じて、歴史の正統や道理を考えた時代です。後期水戸学では、会沢正志斎や藤田東湖らが、尊王、国防、藩政改革、教育を結び付けて考えました。

その間に立つ藤田幽谷を転換点として見ると、歴史研究が政治思想へ変わる流れをつかみやすくなります。

水戸学と朱子学にはどのような関係がありますか?

水戸学は朱子学を重要な土台としました。そこへ日本の歴史を重んじる史学、古典を重視する国学、神道的な考え方が重なり、水戸藩独自の学問・思想として形づくられました。

水戸学は明治維新にどのような影響を与えましたか?

水戸学は尊王思想と攘夷論を結び付け、幕末の尊王攘夷を考えるうえで重要な思想になりました。

ただし、水戸藩は徳川御三家でもあり、尊王思想が直ちに倒幕へ向かったわけではありません。藩内には深い対立があり、その複雑さを含めて見る必要があります。

弘道館とはどのような場所ですか?

弘道館は、水戸藩九代藩主・徳川斉昭が改革の柱として設けた藩校です。学問だけでなく、武術、医学、砲術なども学ぶ場として構想され、後期水戸学の教育理念を示す場所となりました。

【筆者プロフィール】

なおじ。公立小・中学校で約35年、社会科教師と校長として教育現場に立ち、指導主事として学校を外側から見る仕事にも携わってきました。全国中学校社会科教育研究会の元理事、茨城県社会科研究部長(元)として、地域の歴史を資料と現場の両方から考えてきた経験があります。

水戸学を扱うときも、人物名や用語を覚えるだけでは終わらせません。弘道館や水戸城跡のような場所、歴史書に残る言葉、当時の人々が抱えた迷いをたどりながら、歴史が今の社会とどうつながるのかを見つめています。

現在は8つのブログで、ドラマ芸能政治歴史スポーツ学び書評といった分野を横断しながら、「人の生き方」と「社会とのつながり」をテーマに記事を書き続けています。

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