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朱子学・陽明学・古学の違いを山鹿素行学(古学)の視点でわかりやすく解説

朱子学・陽明学・古学の三者は、いずれも儒学から生まれながら、追究する対象がまったく異なります。

林羅山は「天が定めた理(客体の定理)」を、中江藤樹は「自らの良知(主体の心)」を、山鹿素行は「モノの働き・機能(客体の用)」を追究しました。

この一点の違いが、江戸260年の安定と幕末の動乱、両方の源泉になっています。

こんにちは、なおじです。

社会科教師として35年間、何度この三者を生徒に説明しただろうかと思います。

「先生、結局どれが正しいんですか?」と聞いてくる生徒に、「それが面白いところで、三者とも自分が正しいと思っているんだよ」と返すのが定番の一幕でした。

この記事を読み終わるころには、朱子学・陽明学・古学の違いが「追究対象の違い」という一本の軸でスッキリ整理されているはずです。

この記事でわかること

  • 儒学と朱子学の違い(上位・下位の関係)
  • 江戸初期に現れた3人の儒学者の概要
  • 朱子学・陽明学・古学の「格物致知」解釈の違い
  • 山鹿素行「古学」の核心「用」とは何か
  • 素行の思想が赤穂浪士・幕末志士を動かした理由
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目次

儒学と朱子学はどう違うのか

朱子学は儒学の「一派」にすぎない

「朱子学=儒学」と誤解している方が多いのですが、正確には儒学のなかの一つの学派が朱子学です。

儒学とは、孔子に始まる思想の系譜全体を指します。

孔子→孟子と続く古代の教えが出発点で、その後、時代ごとにさまざまな解釈が生まれました。

朱子学は南宋の朱熹(しゅき)が12世紀に体系化したものです。

孔子の教えを「理(り)」という宇宙原理で再解釈し、身分秩序や道徳を理論的に支えました。

日本には中世から伝来しましたが、江戸幕府の成立とともに「官学」として採用され、一気に存在感を高めます。

林羅山が「朱子学の日本化」を担った

林羅山

江戸幕府の思想的な柱を作ったのが、林羅山(1583〜1657年)です。

👉関連記事:林羅山の朱子学が260年の安定を作った ①

羅山は「上下定分の理」という考えを唱えました。

「天は高く地は低い。だから人の身分にも上下がある。これは天が定めた理だ」というロジックです。

「武家諸法度」の起草にも関わり、幕府の秩序を思想面から支え続けた人物でした。

「朱子学を一言で言えば『理』の思想」と覚えておくと、後の比較がずっとラクになります。

江戸初期に現れた3人の儒学者

天才の時代の幕開け

江戸前期は、日本思想史でもとびきり豊かな時代です。

伊藤仁斎や新井白石、松尾芭蕉、近松門左衛門。世界史的に見ても、これほど一時代に突出した思想家・文化人が集中するのは珍しいことでしょう。

その黎明期に、三人の儒学者が相次いで現れます。

林羅山(朱子学)・中江藤樹(陽明学)・山鹿素行(古学)の三者です。

👉関連記事:朱子学者「林羅山」の思想:朱子学で言う「理気二元論」とは何か  ③

三者の基礎は同じ「朱子学」

中江藤樹

重要なのは、藤樹も素行も、出発点は朱子学だったということです。

師に付かず独学で朱子学を学んだ藤樹は、30代に入って羅山の考え方に疑問を抱き始めます。

素行は羅山に直接師事しながらも、やがてその学問体系に異を唱えます。

元の学問が同じだからこそ、どこで分岐したのかが際立つ。

これが三者比較の面白さです。

儒学者思想キーワード追究対象
林羅山朱子学理(り)客体の定理(天が定めた究極の一理)
中江藤樹陽明学良知(りょうち)主体の心(自らの意・良知)
山鹿素行古学用(よう)客体の働き・機能

朱子学・陽明学・古学の「格物致知」解釈はどう違うか

「格物致知(かくぶつちち)」は儒学の基本概念です。

「物に格(いた)って知を致す」という意味で、三者それぞれが、この言葉をまったく異なる方向に解釈しました。

朱子学の解釈──天が定めた「究極の一理」を探る

朱子学では、すべての物には天が定めた究極的一理が宿っていると考えます。

だから学問の目的は、「天が定めた定理を探ること」です。

加えて、それを探る人間の心にも「天が定めた善なる心」がすでに備わっているとします。

追究対象は二重構造です。「客体としての定理」と「主体としての善なる意」、両方を工夫(学問的追究)の対象とします。

👉関連記事:朱子学者「林羅山」の思想:理気二元論とは何か ③

陽明学の解釈──自らの「良知」を信じよ

陽明学は、追究対象を主体である自分の「意(心・考え)」に絞ります。

王陽明は「理を外部の事物に求めていたのは間違いだ」と言い切りました。

「物」について思う自分の意を「格す(ただす)」ことが学問だというわけです。

孟子の言葉「慮らずして知るところの者はその良知なり」を根拠に、誰もが生まれながらに持つ直感的な道徳力「良知」を発揮することを重んじました。

朱子学が「外にある定理を探れ」と言うのに対し、陽明学は「内なる良知を信じよ」と言う。正反対ですよね。

古学(素行)の解釈──「モノの働き」を追究せよ

素行の解釈はどちらとも違います。

「格物」を「一つ一つの問題場面で、そのモノをよく検討・工夫すること」と捉えます。

大切なのは、「そのモノが外部に対してどんな用(働き・機能)を果たすか」を極めることです。

朱子学のように「変わらぬ普遍の定理」を前提とせず、陽明学のように「主体の心」を中心にも置かない。

物事は常に変化するのだから、その時々の問題場面で「モノをどう機能させるか」を工夫するのが正しい学問だ──これが素行の立場です。

山鹿素行「古学」の核心──「用」とは何か

山鹿素行

素行はどんな人物だったのか

山鹿素行

山鹿素行(1622〜1685年)は、大坂夏の陣から7年後に会津に生まれました。

6歳で江戸に出て、林羅山に儒学を、小幡景憲・北条氏長に兵学を学びます。

21歳で兵学者として独立するという、なかなかの早熟ぶりです。

彼が生きた時代は、まだ戦国の世を知る武士が身近に多数いました。

平和な世に生きる武士は何者なのか──この問いが、素行の思想の出発点になります。

「用」とは「モノの働き・機能」のこと

素行学を一言で言えば「」の思想です。

「用」とは、あるモノが外部に対して果たす「働き」や「機能」を指します。

ここで言う「モノ」は物体だけに限りません。「忠義」「親孝行」「仲間との関わり」といった抽象的な関係性も「モノ」に含まれます。

「忠義とはどんな機能を果たすべきか」「親孝行はどう働くべきか」──これを問題場面ごとに工夫し続けることが、素行の考える学問です。

「生々無息」──変化し続ける世界に普遍の定理はない

素行が朱子学を批判した核心はここにあります。

すべての物は常に変化し続けている(生々無息)。

常に変化しているモノに、「常に変わらず適用できる定理などない」というわけです。

朱子学のように「天が定めた究極の一理」を追究対象とするのは、現実の変化を無視した形而上学的な議論だ──と素行は言い切ります。

35年間社会科教師をやってきて思うのですが、この素行の批判、現代の授業でも通じます。「教科書の理論がいつも現場で役立つとは限らない」という感覚と、どこかつながっているんです。

川柳:

理を追うな 目の前の用を よく見よと

素行の思想が赤穂浪士・幕末志士を動かした理由

「士道」──平和な世の武士のあり方

素行は著書『山鹿語録』で「士道」を提唱しました。

生産に直接従事しない武士が、農工商の人々に模範を示し、秩序を維持することで社会に貢献するという考え方です。

赤穂藩にも在籍していた素行の思想が、赤穂浪士の討ち入りに影響したとされます。

これは後世の「葉隠」の武士道とは、出発点が異なります。

葉隠が「死ぬことと見付けたり」と死への覚悟を強調するのに対し、素行の士道は「生きている武士がどう役立つか」というより実践的な問いから出発しています。

『中朝事実』と幕末の尊皇思想

中朝事実

素行はまた、『中朝事実』という著書で万世一系の皇統を論じ、日本こそ「中華」と呼ぶに値すると主張しました。

この点が幕末の志士たちに「尊皇思想のバイブル」と受け取られ、倒幕運動の思想的根拠として引用されます。

ただし、素行自身は別著「武家事紀」で「朝廷が統治能力を失ったから武家が政治を担った」とも書いており、武家政治の正当性も認めていました。

👉関連記事:林羅山と方広寺鐘銘事件の謎:林羅山は曲学阿世の学者という評価は正しいか 

幕末期は後者の記述は都合よく無視されました。思想は、受け取る側がどう使うかで意味が変わる──これも歴史の面白いところです。

朱子学が江戸を守り、古学が幕府を倒した逆説

三人の儒学者の思想が行き着いた先は皮肉です。

羅山の朱子学は江戸幕府の安定に寄与しながら、藤樹の陽明学と素行の古学は、やがて幕府そのものを否定する思想の根幹になっていきます。

👉関連記事:災害時でも列を崩さない日本人の精神|林羅山の朱子学が起源だった! 

三者とも儒学という同じ源流から出発したのに、辿り着いた先がまったく違う。

「理を追い続けた学問が、その理を否定する思想を生んだ」──素行が聞いたら苦笑いするかもしれませんね。

よくある質問(Q&A)

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筆者紹介|なおじ

なおじは元社会科教師として教育現場に35年間携わり、指導主事を5年、校長を11年務めました。
退職後もボランティアで子どもたちに学習を教えています。

儒学三派の違いは、社会科の授業で毎年説明してきたテーマです。生徒に「結局どれが正しいの?」と聞かれるたびに、「正しさの基準が違うから、全員が自分こそ正しいと思ってるんだよ」と答えてきました。そのやりとりがこの記事の出発点にもなっています。

現在は8つのブログでドラマ芸能政治歴史スポーツ学び書評を書いています。

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