水戸学– category –
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水戸学三大特筆・南朝正統論の真実|茨城の楠木神社が語る歴史
水戸学の三大特筆としてあげられる歴史上の難問は、「神功皇后に関する評価問題」、「大友皇子に関する評価問題」、そして、「南北朝正閏論(南朝と北朝どちらを正統とするか)」という三つの難問です。水戸学は、「南北朝正閏論」で「南朝を正統」としているという特筆があります。茨城には、京から遠く離れているにもかかわらず、楠木正成公を祀る「楠木神社」があります。このブログでは、南朝正統論と茨城の楠木神社の関わりについて、述べます。 -
徳川光圀(水戸黄門)の生涯|史記との出会いで変わった義公の水戸学
水戸は、もともとは御三家ではなかった。それを御三家の位置に押し上げたのは水戸光圀。天下の副将軍という役職はない。それでも人々から副将軍と呼ばれた光圀。光國ではなく光圀と改めたのは何故か。死後は神となったというのは本当か。そして、水戸学とは何か。 -
江戸末期、286種の旗が載る研究本を著し、国防に多大な貢献をした 水戸藩の鱸重時とは
水戸の斉昭により、「日の丸」が日本の国旗となった。その斉昭を支えた国旗学者が水戸にいた。その名は鱸重時。ペリー来航の前に、世界の国旗など286の旗を「萬國旗鍳」という本にまとめ発刊。さらに重時は、日本初の西洋式軍艦「旭日丸」の建造を指揮した。 -
ペリー来航で慌てる幕府を説き伏せて、「日の丸」を国旗とした水戸の斉昭
日本の国旗『日の丸』は水戸から生まれた! 最古の戦扇日の丸を持っていたのは、安倍晋三前首相のご先祖安倍貞任。日本最古の日の丸は、武田家の家宝「御旗」実はこれらも全て茨城(常陸)と関わりが深い。 -
水戸は、なぜ彦根の井伊直弼を討ったのか:建造時の姿を残す彦根城
水戸と彦根の因縁、桜田門外の変はなぜ起こったか。また、日本に当時のまま天守閣が現存する城はいくつあるのか。彦根城はその一つ。 -
会津の「什の掟」とは?7カ条で学ぶ江戸時代の武士教育システム
政治家など人の上に立つ者が、私利私欲だけで動いたら国は成り立たない。エリートがエリートであるためには、人格的にも高潔で優れている必要がある。 江戸期、武士は当時の人口の約7%程度だった。そして多くの武士は人間として洗練されていた。それは当時の教育に負うところが大きい。 会津の「什の掟」も当時の高潔な人間を育てる貴重な掟、そして教えだった。 -
水戸学とは?弘道館記述義が教える日本らしさの本質【最終回】
弘道館記は、491文字の簡素な文章でしたので、斉昭は、「これを詳しく解説せよ」と藤田東湖に命じました。東湖は、再三辞退しましたが最終的に承諾し、十年の年月をかけ「弘道館記述義」を完成させます。 -
維新の源流としての水戸学NO9(弘道館記を書いたのは誰か)
弘道館は、一番最初に出来た藩校ということでも、藩校の中で一番大きかったと言うわけでもありません。 弘道館は、水戸学の中心だったという理由で全国で有名になった藩校です。 -
会沢正志斎『新論』が幕末志士の心を揺さぶった理由|水戸学第8回
新論は1825年に書かれています。出来上がった当時は、藩主斉脩(なりのぶ)によって、公刊を差し止められていました。 -
水戸学の思想家・藤田東湖が3度死を決意した理由と天狗党への影響
東湖は、幽谷の子であり後期水戸学を代表する、政治家にして詩人、そして思想家であるとともに行動家でありました 父、幽谷に負けず劣らずの秀才です。そして有言実行の人です。