日本らしさ– category –
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【津田左右吉】の神道の語義六分類とは何か?|宗教観の歴史的変遷
あなたが知る「神道」は、実は明治時代の創作かもしれない。 神社参拝や初詣、七五三などの習慣を「神道的な行事」と何気なく思っている方も多いでしょう。 しかし「神道」という言葉自体が、時代によって全く異なる意味を持っていたことをご存知でしょう... -
両部神道とは何か?|伊勢神道との違いから学ぶ日本の宗教観
「伊勢神宮の神々は仏の化身か、それとも本来の神か」 日本の宗教史において、神と仏の関係をどう捉えるかは常に重要な問いでした。 両部神道は「神は仏の仮の姿」と説き、 伊勢神道はその逆に「神こそが本来の存在」と主張します。 この対立する二つの神... -
伊勢神道とは何か?|度会氏が創始した神道思想の歴史と特徴
八百万の神々は、実は仏の化身だった? 私たちが「日本固有の宗教」と考えがちな神道は、実はその形成過程で仏教と深く結びついていました。 神社の境内に寺院が併設され、 神々が仏の「垂迹(すいじゃく)」として崇められる時代が千年以上続いていたので... -
神功皇后が敦賀から出航した理由とは?氣比神宮と新羅征伐を結ぶ歴史の真実
「神功皇后」 佐々木尚文 筆 結論からお話しします! 神功皇后といえば『三韓征伐』 夫である仲哀天皇がなくなった後、皇后自らが海を渡り三韓を征伐に向かったことで有名ですよね。 では、神功皇后はどこから出航しかというと、敦賀からなんです。 ここ... -
【武士の誠実さ】潮田又之丞の最後の約束:人生の教訓と対話
潮田又之丞という人物がいた。赤穂浪士の一人。彼は、友との約束を死の間際まで忘れずきちっと果たして死ぬ。日本には高潔な心をもつ人物がたくさんいたことを誇り、子供たちに伝えたい。 -
「日本」が「日本」という国号になったのは いつからか
日本が日本になったのはいつか。荒く言って6説ある。① 推古朝説(601~607年ごろ)② 孝徳朝説(大化の改新645年ごろ(③ 斉明朝説(659年ごろ) ④ 天智朝説(670年ごろ)⑤ 7世紀後半説(670年~702年の間)⑥ 8世紀初頭説 ア)文武朝説(702年ごろ)イ)元明朝説(712~720年ごろ) 私個人は、7世紀後半説で天武・持統朝の680年から690年代と考える。 -
国学の四大人の一人『賀茂真淵』の国学とは、そして復古神道とは
賀茂真淵は「度量の広い人」と言われる。本居宣長のわがままを許し、主である田安宗武とも平気で論争する「ますらおぶり」。小気味よい人物であり、日本の宝の一人と言って間違いない。 -
【朱子学・陽明学・古学の違いは何か】、『山鹿素行学(古学)』を視点として
日本の気品は、江戸期の学問によるところが大きい。その中でも、江戸初期の儒学者、林羅山の朱子学、中江藤樹の陽明学、そして山鹿素行の古学は、その後の日本人の生き方に大きく影響した。しかし、朱子学と陽明学と古学は、どこがどう違うのか。それぞれの工夫の対象(学問上の追究対象)にポイントを絞り、違いを解説。 -
鎌倉初期の革命家・道元 〜現代に生きる「自力救済」の教え〜
鎌倉初期、『日本を創った思想家』を三人に絞るとすれば、『空海・親鸞・道元』であろう。道元は、「自分の教えは、民衆に受け入れられる必要はない。ごく少ない人数でよい。お釈迦様のなさった修行を、自らも行いたいという志をもった者だけが、修行を通して自力で自らを救う。」と、他力救済を説く親鸞とは、真逆の『自力救済思想』を示した。 -
史上最も革命的な恋愛!?親鸞聖人が命をかけた「世界初の僧侶結婚」
『比叡山や興福寺のみならず、世間の人々が、あなたの敵になるでしょう。それでも、結婚する覚悟はあるか?』法然は静かに言う。『それで、お師匠様が教えてくださった真実の仏教が、世に明らかになるならば、私はやります。』親鸞31歳、日本で初めて僧侶でありながら公然と結婚をし、肉食を実行した僧侶であった。