2023年– date –
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宗像大社をはじめとする海神・龍神・弁財天と結び付いた宗像三女神を祀る神社の御利益
宗像三女神は、スサノオとアマテラスの誓約によって生まれた3柱の「海神」。元々は、玄界灘をはじめとする海洋民族宗像氏が祀っていた神であり、秘儀の島である沖ノ島を含む宗像大社に祀られた。さらに宗像三女神系神社は龍神や弁財天と習合したりして関東... -
コノハナサクヤヒメが「浅間神社」に祀られるようになったのはなぜか
コノハナサクヤビメは、桜のような美の女神。この神は「美」とともに「はかなさ」の象徴でもある。この神が、なぜ富士山麓に多い浅間神社に祀られることになったのか。そのわけは、この神がニニギとの子を産むときの出産状況と、山の神である父神との関わりにある。また、なぜ「浅間神社」は「あさま神社」ではなく「センゲン神社」と読むのか、それらの謎に迫る。 -
総数8万と言われる「神社」、古代の延喜式神名帳に載る「神社総数」は、何社だったか
現在総数、約8万と言われる神社。神社本庁が管理していない個人や企業の敷地内にある神社まで数に入れると約20万にもなると言われる。では古代はどうだったのだろうか。古代の神社について記されている延喜式神名帳という史料がある。 -
意外と知らない日本の神社の謎と、太古の神々
伊勢神宮は、皇祖神のアマテラスを祀りながら、「なぜ歴代天皇は、明治時代になるまで伊勢神宮を参詣することがなかったのか」、「出雲大社に伝わる巨大な本殿は、本当に実在したのか」、「大神神社のご神体である三輪山には何があるのか」、「宗像大社が鎮座する隠岐の島で行われている謎の祭祀とはどのようなものか」また、「神社」に祀られる神々の中には、かつては荒ぶる神だった例もある。 -
徳川家康の嫡男 【松平信康を切腹させたのは 誰か】
『信長の命令により信康は切腹させられる。理由は、武田との内通。信康の妻で信長の娘の徳姫のざん言により、母の築山殿と共に命を奪われた。』信康を解釈したのは誰?、信康の墓はどこにある? -
鎌倉公方満兼が定めた 関東八屋形(関東八館)とは何か
常陸の佐竹氏と小田氏、下総結城氏と千葉氏、下野の小山氏、宇都宮氏、那須氏、長沼氏(大掾氏を当てることもある)、この八つの家に鎌倉公方満兼は「御屋形」の号を与えます。関東八屋形(八館)です。 -
「桜田門外の変」の裏話【有村次左衛門哀話】
桜田門外の変で、井伊直弼の首を挙げた有村次左衛門は、変後に自刃して果てた。数えで23歳の短い生涯だった。だがこの次左衛門には、変の前日に仮祝言をあげた妻がいた。桜田門外の裏話哀話。 -
本居宣長が完成させた『国学』とは、どんな学問
国学の礎を築いた本居宣長は、朱子学の「理」の学問を批判し、日本人的な真心の「妙理」を解いた。 -
徳川家康の側室お万の方が生んだ、越前宰相結城秀康
『どうする家康』で、湯殿の家康を世話するお万。お万さんの色っぽさが反則級だった。さて、このお万が産んだ子が家康の次男、結城秀康。結城秀康の生涯に焦点をあてて描かれた小説が梓澤要氏の『越前宰相 秀康』。父家康に認められず、不遇に育ちながらも無骨に生きる。最後は越前の宰相として、父にも一目置かれる存在となる。 -
家康は「三方原で脱糞しなかった」し、「『しかみ像』の絵も描かせなかった
「三方原の戦い」は、家康最大の危機。武田信玄に手痛い敗北をきし、逃げ帰るときに馬上で脱糞をした。そして、この屈辱を忘れないために、いわゆる「しがみ像」の絵を描いて、常に身近に置いた、という話が伝わる。だが、「どうする家康」の中では「脱糞逸話」は、扱われていない。さてこの話、どっちが本当なのか?