北畠親房– tag –
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北畠親房は誰のために,何のために神皇正統記を書いたのか
神皇正統記は,「誰のために」そして,「何のために」書かれたのでしょうか○「誰のために書かれたのか」 「童蒙」のために書かれたとあります。 では,「童蒙」とはだれでしょうか。私見ですが,百通にも及ぶ書簡のやりとりをしても動かず,「道理・大義... -
佐竹・足利氏の相次ぐ死|14世紀中盤に起きた室町幕府大変動
14世紀中盤の大者の死 大物たちの死亡年 いつの時代でもそうですが、14世紀の中盤の大物たちの死も、時代に変化をもたらしました。 佐竹の暗黒時代である鎌倉時代を乗り切り、失った領地回復を進めた佐竹10代貞義が1352年に亡くなります。 その2年後の135... -
佐竹氏が武家方・小田氏が公家方を選んだ理由|鎌倉幕府討幕史
常陸に遠流になった後醍醐の臣、万里小路藤房を預かった小田治久、対して佐竹の庶子月山周枢と尊氏の師夢窓疎石の人間関係を頼って武家方となった佐竹。どちらに日が当たるか。 -
神皇正統記の著者 北畠親房の息子、南朝の支柱北畠顕家,石津の戦いで 死す
北畠親房の子、北畠顕家の動向を中心に延元年間中の1336から1338の南北朝の戦いの様子について
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