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【初代将軍『家康』の評価】:他の戦国武将に比べて人気が低い理由
徳川家康という名前は、日本の統一と徳川幕府誕生の代名詞です。彼は、日本の歴史、文化、社会を形成する遺産を持つ、日本で最も影響力のある指導者の一人と考えられています。家康のリーダーシップは、その軍事的戦術から政治的才能に至るまで、何世代に... -
天孫族タケミカヅチを祀る鹿島神宮が、なぜ常陸(現茨城県)にあるのか
鹿島神宮は常陸の国の一宮。祭神はタケミカヅチ。下総国の一宮香取神宮とセットで霞ヶ浦を挟んで祀られている。香取の祭神はフツヌシ。タケミカヅチと同様天孫系の武神。大和から遠く離れた関東に、なぜ両神宮社が祀られているのか。 -
朱子学者「林羅山」の思想:朱子学で言う「理気二元論」とは何か
日本人の思想的な根幹を造っているのは、儒教だと言って過言では無い。その日本儒教の基(もとい)を創り上げたのは、林羅山。羅山が日本に広めようとした朱子学の思想とはどういうものか。そして羅山自身の思想とは。 -
林羅山が提唱した神道:「理当心地神道」とはどのような神道か
林羅山は、日本の儒教(朱子学)を定着させた人物。また、昌平黌などの学校をつくり、日本の教育改革を行った人物。日本文化を語る上では欠かせない人物である。この『本朝通鑑』を完成させる上で羅山が提唱した神道が『理当心地神道』であり、「天皇家の祖先は中国人だった」という受け入れがたい主張だった。林羅山が提唱した『理当心地神道』とはどのような神道だったのか。 -
林羅山と方広寺鐘銘事件の謎:林羅山は曲学阿世の学者という評価は正しいか
日本国民の道徳性を培った日本朱子学の祖、林羅山には、「曲学阿世」の学者という評価もあります。なぜ「曲学阿世」といわれるのか、この評価は正しいのか、に迫ります。 -
水戸学三大特筆・南朝正統論の真実|茨城の楠木神社が語る歴史
水戸学の三大特筆としてあげられる歴史上の難問は、「神功皇后に関する評価問題」、「大友皇子に関する評価問題」、そして、「南北朝正閏論(南朝と北朝どちらを正統とするか)」という三つの難問です。水戸学は、「南北朝正閏論」で「南朝を正統」としているという特筆があります。茨城には、京から遠く離れているにもかかわらず、楠木正成公を祀る「楠木神社」があります。このブログでは、南朝正統論と茨城の楠木神社の関わりについて、述べます。 -
岐阜城の見所:岐阜城観光の前に押さえておきたい歴史背景と観光スポット
岐阜城を見学する前に押さえておきたい歴史的背景と観光スポット ・岐阜城の原型を創ったのは鎌倉殿の13人の一人二階堂行政。最後の城主は、清洲会議で秀吉の肩に担がれていた三法師・織田秀信だった、などの歴史的背景、岐阜城に来るまで行くときの駐車場、おいしいスイーツを食べられる場所、などを知ることができる。 -
宗像大社をはじめとする海神・龍神・弁財天と結び付いた宗像三女神を祀る神社の御利益
宗像三女神は、スサノオとアマテラスの誓約によって生まれた3柱の「海神」。元々は、玄界灘をはじめとする海洋民族宗像氏が祀っていた神であり、秘儀の島である沖ノ島を含む宗像大社に祀られた。さらに宗像三女神系神社は龍神や弁財天と習合したりして関東... -
コノハナサクヤヒメが「浅間神社」に祀られるようになったのはなぜか
コノハナサクヤビメは、桜のような美の女神。この神は「美」とともに「はかなさ」の象徴でもある。この神が、なぜ富士山麓に多い浅間神社に祀られることになったのか。そのわけは、この神がニニギとの子を産むときの出産状況と、山の神である父神との関わりにある。また、なぜ「浅間神社」は「あさま神社」ではなく「センゲン神社」と読むのか、それらの謎に迫る。 -
総数8万と言われる「神社」、古代の延喜式神名帳に載る「神社総数」は、何社だったか
現在総数、約8万と言われる神社。神社本庁が管理していない個人や企業の敷地内にある神社まで数に入れると約20万にもなると言われる。では古代はどうだったのだろうか。古代の神社について記されている延喜式神名帳という史料がある。