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大谷吉継はなぜ「義の武将」と呼ばれる?石田三成との絆と関ヶ原での最期

戦国時代を代表する美談の一つが、大谷吉継と石田三成の友情物語です。

先日の記事「義の武将・大谷吉継と敦賀の深いつながり|Wギョーブが伝える460年の歴史」では、吉継の敦賀城主としての治世に焦点を当てましたが、今回はなぜ吉継が「義の武将」と呼ばれるようになったのか、その背景にある石田三成との深い絆と、関ヶ原での壮絶な最期について詳しく解説します。

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目次

石田三成との友情の始まり

豊臣家での出会い

大谷吉継と石田三成の出会いは、両者が豊臣秀吉に仕えるようになった天正年間初期に遡ります。

吉継は近江出身で、幼少期から秀吉の小姓として仕え、三成と共に秀吉の信頼を得て重用されました。

二人は共に奉行衆として豊臣政権の中枢を担い、特に兵站業務では密接に連携しました。

吉継は九州攻めや朝鮮出兵の際に兵站奉行を務め、その優れた実務能力から秀吉に「十万の軍勢を指揮させてみたい」と言わしめるほどでした。

病気を患っても変わらない絆

吉継は若い頃から業病(らい病とされる)を患い、次第に顔面が侵され、失明状態となっていきました。

多くの武将が吉継を避けるようになる中、石田三成だけは変わらずに親交を保ち続けたのです。

このエピソードを象徴するのが、有名な「茶会での出来事」です。

ある茶会で吉継の病巣から膿が茶碗に落ちてしまった際、他の参加者が露骨に嫌悪感を示す中、三成だけは平然とその茶を飲み干したという逸話が伝わっています。

関ヶ原への道のり

三成への忠告

慶長5年(1600年)、石田三成が徳川家康打倒の挙兵を決意した際、大谷吉継は三成を説得しようと試みました。

病身でありながら佐和山城を訪れ、「三成に勝機なし」と再三にわたって諫言したのです。

吉継の戦略眼は優れており、西軍の結束力の脆さや東軍の圧倒的な兵力差を冷静に分析していました。

しかし、三成の「義」を貫こうとする決意の固さを知ると、最終的に友情を選択したのです。

敗戦を覚悟した参戦

吉継は敗戦を覚悟しながらも、「石田三成の義に応える」ことを選び、西軍に参加しました。

この決断こそが、後世に「義の武将」と讃えられる所以となったのです。

関ヶ原での壮絶な戦い

白頭巾の指揮官

関ヶ原の戦い当日、吉継は病気の進行により馬に乗ることができず、白頭巾で顔を隠し、輿に乗って指揮を執りました。

この姿は後世の創作物でも印象的に描かれ、大河ドラマなどでもおなじみの光景となっています。

小早川秀秋との激戦

正午頃、松尾山に布陣していた小早川秀秋隊1万5,000人が東軍に寝返って大谷隊を攻撃しました。

しかし吉継は初めから小早川隊の謀叛を予想しており、直属の兵600で迎撃。

前線から引き返した戸田勝成(かつしげ)・平塚為広(ためひろ)と合力し、兵力で圧倒する小早川隊を一時は500メートルも押し戻し、2、3回と繰り返し山へ追い返したといいます。

四面楚歌での最期

大谷隊の激戦ぶりは、東軍から小早川の「監視役」として派遣されていた奥平貞治(さだはる)が重傷を負って後に死亡したことからもうかがえます。

しかし、脇坂・朽木・小川・赤座の4隊4,200人が東軍に寝返り、大谷隊に横槍を仕掛けました。

これにより前から東軍、側面から内応諸隊、背後から小早川隊の包囲・猛攻を受け、吉継は家臣・湯浅隆貞の介錯で切腹して果てたのです。

享年36とも42ともいわれています。

「義の武将」と呼ばれる理由

利害を超えた友情

大谷吉継が「義の武将」と呼ばれる最大の理由は、利害を超えた友情を貫いたことにあります。

合理的に考えれば東軍に付くことが得策でしたが、吉継は友である三成の「義」に共感し、最期まで裏切りませんでした。

障がいと向き合う生き方

また、重い病気を患いながらも決して諦めることなく、武将としての責務を全うした姿も多くの人々に感動を与えています。

現代においても、困難な状況に立ち向かう勇気と希望を与える存在として讃えられています。

現代への教訓

石田三成との友情は、真の友情とは何かを現代人に問いかけています。

利害関係を超えた人間同士の絆の大切さは、現代社会においてもより一層重要な価値となっているのです。

まとめ

大谷吉継が「義の武将」と呼ばれる理由は、単に関ヶ原で勇敢に戦ったからではありません。

病気というハンディキャップを乗り越え、友情を貫き、最期まで自分の信念を曲げなかったその生き方そのものにあるのです。

前回の記事でご紹介した敦賀城主としての優れた統治能力と合わせて考えると、大谷吉継は戦国時代を代表する「文武両道の名将」だったといえるでしょう。

現在、敦賀市で活動する「Wギョーブ」が吉継の魅力を現代に伝えているのも、このような普遍的な人間的魅力があるからこそなのです。

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