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荻生徂徠は何した人?|わかりやすく言えば【コンサルタントだった江戸時代の天才学者】

40年間社会科を教えてきた身として、生徒から「先生、荻生徂徠って何した人?」と聞かれるたび、いつも胸が躍りました。

荻生徂徠(おぎゅう そらい、1666-1728年)は、江戸時代中期を代表する儒学者・思想家で、古文辞学の確立政治改革への提言で日本の学問史に大きな足跡を残した人物。

荻生徂徠は簡単に言うと「野村総研コンサルタント兼慶応義塾運営者のような人物 。

現代でいえば、野村総合研究所で政府の政策提言をしながら、同時に慶応義塾のような私塾も経営していたような人です。

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目次

【時系列】荻生徂徠が実際に何をしたのか?

1666年〜:苦労人からのスタート

荻生徂徠(おぎゅう そらい)は1666年生まれ。

若い頃は超貧乏で、豆腐屋からオカラをもらって食いつないでいました

この体験が後に落語「徂徠豆腐」になったほどです 。

まさに苦学生の代表格ですね。

1690年頃〜:大ブレイク!権力者のブレーンに

柳沢吉保という、5代将軍綱吉の右腕に見出され、政治アドバイザーとして大抜擢されました。

現代でいえば、官房長官の政策秘書官のような立場です。

これで一気に人生が変わりました。

1709年〜:独立して教育事業を開始

柳沢吉保の失脚後、江戸で蘐園塾(けんえんじゅく)という私塾を開校しました 。

場所は日本橋茅場町で、隣には俳人の宝井其角が住んでいたという、なんともオシャレな立地だったんです 。

1720年代〜:政策提言書『政談』で改革案を提示

8代将軍吉宗に頼まれて書いた『政談』では、商業社会の問題を分析し、武士の農村回帰による経済立て直し策を提案しました 。

現代でいう「地方創生政策」のような内容です。

新井白石との熾烈なライバル対決

まるでApple vs Microsoft!学界の覇権争い

荻生徂徠には、新井白石という生涯のライバルがいました 。

この二人の関係は、まさにジョブズとゲイツのような感じです。

  • 新井白石:将軍家宣に仕える、いわば「Microsoft派」の正統派エリート
  • 荻生徂徠:叩き上げの実力派、「Apple派」の革新者

徂徠の白石への容赦ない攻撃

徂徠は白石のことを「文盲」呼ばわりし、「新井など文盲なる故、これらのことに了間つかぬ也」と散々こき下ろしてたんです。

現代でいえば、Twitter(X)で学者同士が激しく論争しているような状況ですね。

当時の「学者番付」では白石が西の大関、徂徠は関脇という格付け。

徂徠にとって白石は「絶対に越えたい壁」だったのでしょう。

赤穂浪士事件:法律コンサルタントとしての活躍

忠臣蔵で有名な赤穂浪士の処分について、徂徠は法的アドバイスを提供しました。

「武士としての名誉ある切腹」という判断に関与したとされ、この逸話は落語にもなっています。

現代でいう最高裁判所の判事のような役割を果たしたわけです。

古文辞学:まるでGoogle翻訳を否定した語学革命

「翻訳に頼るな!原文で読め!」

徂徠の最大の功績は古文辞学の創始です。

これは現代でいえば「Google翻訳に頼らずに英語の原文を読もう」という主張に似ています。

従来の学者が「返り点」を使って日本語的に中国の古典を読んでいたのに対し、徂徠は「中国語の発音で原文を理解すべき」と主張したんです。

まさに語学学習の革命家でした。

現代に例えると、こんな人物

荻生徂徠を現代に例えるなら:

  • 政策面:経営コンサルタント + 政府の有識者会議委員
  • 教育面:私塾経営者(慶応義塾の福沢諭吉のような存在)
  • 学問面:語学学習法の革命家(古典教育メソッド開発者)
  • 性格面:SNSで論争を仕掛ける辛口評論家

社会科教師として約40年間歴史を見てきた中で、これほど「現代的」な江戸時代の人物はなかなかいません。

実業と学問を両立し、既存の権威に挑戦し続けたまさに時代の先駆者だったのです。

オカラ食い 今じゃ将軍の 相談役

筆一本 今日は論語で 明日政策

—社会科教師の血が騒ぎます。

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