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朱子学者・林羅山の思想とは?理気二元論・本然の性・修養論を元教師が読み解く

🖊️ この記事は、朱子学の基本概念(理気二元論など)を整理し、その上で林羅山の思想と人物像を読み解くための記事です。

朱子学の「理」とは、秩序のことです。

その秩序が天にあり、人の心にも宿り、国家の統治にも及ぶ──。

林羅山はその朱子学を深く理解した上で、「原理通りに生きること」より「理想を実現するための現実的行動」を選んだ人物でした。

こんにちは、なおじです。

元社会科教師として35年間、教室で孔子・朱子・林羅山の話を生徒たちに語り続けてきました。

「朱子学が江戸幕府にどう使われたか」「羅山と幕府政治の具体的な関係」については、①記事で詳しく扱っています。

この記事では、朱子学そのものの理論と、羅山がどんな思想家だったかに絞って読み解いていきます。

📋 この記事でわかること

  • 朱子学の「理気二元論」とは何か(存在論)
  • 「本然の性」と「気質の性」の違い(心性論)
  • 「格物致知」「居敬存養」という修養の方法(修養論)
  • 林羅山がどのように朱子学を理解していたか
  • 林羅山が「現実主義者」と評される理由
  • 「曲学阿世」という評価は正しいのか

👉関連記事:林羅山の朱子学が260年の安定を作った ①

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目次

朱子学が生まれた背景

儒教・朱子学を語るには、まずその出発点に立ち返る必要があります。

孔子から朱子学が生まれるまでには、実に1500年以上の歴史があります。

孔子と儒教の誕生

儒教は孔子が開いた学問です。

孔子は紀元前500年ごろ、春秋時代の中国に生きた実在の人物とされています。

古代の聖王・堯や舜の政治を理想とし、「古代に戻れ」という復古主義的な教えを説きました。

神武天皇がヤマトを建国したとされる紀元前660年から、約160年後の人物ということになります。

そう考えると、儒教は日本の建国とほぼ同時代に生まれた思想、ともいえます。

訓詁の学(漢学)とは何か

その後、儒教は大きく変化していきます。

漢・唐の時代には「訓詁の学(漢学)」として発展しました。

これは五経(書経・易経・詩経・春秋・礼記)などの古典を読み解く「解釈学」であり、科挙試験と結びついて広まった学問です。

思想として深める、というよりも「試験のための学問」という側面が強かった。

訓詁の学を大成したのは後漢の鄭玄(じょうげん)で、この学問は漢唐を通じて約800年にわたって儒教の主流であり続けました。

科挙に通れば立身出世が約束される。が、勉強のための勉強で、儒学を学ぶのがむなしくなりそうですね。

朱子学の誕生:訓詁から思想へ

800年間続いた「解釈学」としての儒教に、やがて大きな転換が訪れました。

朱子(朱熹)が体系化した儒学

宋の時代(西暦960〜1279年)──日本の平安〜鎌倉時代にあたります。

「単に古代文献を解釈するだけでは、本質を見失う」という問題意識をもった人物が現れました。

その代表が朱子(朱熹)です。

朱子は孔子の教えを体系化し、「道」「理」「気」「性」などの概念を駆使して、世界と人間のあり方を統一的に説き示そうとしました。

これが宋代性理の学(宋学)であり、その代表格が朱子学です。

単なる「古文の解釈学」から「思想の学問」へ──儒教はここで大きく生まれ変わりました。

朱子学の三つの柱

朱子学には三つの柱があります。

  • ①存在論(存在とは何か?)→「理気二元論」
  • ②心性論(人の心とは何か?)→「本然の性と気質の性」
  • ③修養論(人はどう生きるべきか?)→「格物致知・居敬存養」

この三つが、林羅山の思想を読み解く上でも欠かせない骨格となります。

以下、一つずつ整理していきましょう。

①存在論:「理気二元論」とは何か

朱子学の出発点は「世界はどのように成り立っているか」という問いにあります。

その答えが「理気二元論」です。

「気」とは何か──五行と万物化生

宇宙に存在するすべてのものは、「理」と「気」の二つから成り立っている、というのが朱子学の基本的な世界観です。

「気」は運動のエネルギーをもち、物を形作る物質のようなもの。

「気」の動きの小さい状態を「陰」、大きい状態を「陽」といいます。

この陰と陽の組み合わせによって五行(木・火・土・金・水)が生まれ、さらに五行の配合によってあらゆる物質が生み出される、とされます。

これを「万物化生」といいます。

ここまでは、現代の「原子・分子論」にやや近いイメージで読めます。

「理」とは何か──天理と理一分殊

だが朱子学はここで終わりません。

「気」には常に、切り離せない形で「」が存在する、と説くのです。

このようにして生み出されたさまざまな物質は、無関係・無秩序に存在しているのではなく、そこには宇宙全体を統括する統一的な秩序が貫徹している。これを「理」という。(『江戸幕府と儒学者』p57)

「理」は物理法則のような自然科学的概念ではなく、思想的・道徳的な「秩序」のことです。

宇宙全体を統括する「天理(天の秩序)」であり、同時に個々の事物にも内在する「物理(物の秩序)」でもある。

この「理は一つだが、さまざまなものに分かれて個別的にも存在する」ことを**「理一分殊(りいちぶんしゅ)」**と呼びます。

「理」が物理の法則なら話が早いのですが、そうではない。あくまで「秩序」や「道徳」を指すのですから、ここは粘り強く付き合うしかありません。

「理とは何 『秩序』と言われ 首をかしげ」

②心性論:「性」と「情」の問題

「理気二元論」で世界の成り立ちを説いた朱子学は、次に「人間の心」へと向かいます。

なぜ悪人が存在するのか

「天理」は、人間においては**「性(せい)」**として存在します。(「天人合一」)

つまり、「人間は生まれながらにして、あるべき道徳・秩序が心の中にある」ということになります。

だとすると、疑問が湧いてくる。

なぜ悪人がいるのか? なぜ人によって考え方が違うのか。

朱子の答えはこうでした。

人の肉体は「気」によって成り立っており、心が肉体に依存している以上、「気」の状態によって「性」のあり方も変わってきます。

外界の刺激を受けると心の中に「情」が発生し、この「情」によって一人一人の「気質」が異なってくる、というわけです。

本然の性と気質の性の違い

朱子学はここで、「性」を次のような二重性で捉えます。

定義特徴
本然の性心の中に宿る天理・道徳そのもの生まれながらに全人間が持つ
気質の性「情」によって生じた個人ごとの性質各人で異なる・修養で変えられる

「本然の性」が本来の自分であり、「気質の性」によって本来の道徳性が曇ることがある──。

だからこそ、修養が必要だ、という論理構造になっています。

人は誰でも「本来はよい心を持っている」が、「情」によって曇る。

教室でこの話をすると、生徒たちが「あ、わかる」という顔をしたものです。

③修養論:どうすれば「本然の性」に戻れるか

「本然の性」に近づくための方法が、朱子学の「修養論」です。

朱子学の修養には、客観的修養主観的修養の二つがあります。

客観的修養:格物致知(格物窮理)

「物に格(いた)りて理を窮む」──これが格物致知(格物窮理)です。

個々の事物を観察し、その中に内在する「理(秩序)」を見出すよう努力する。

観察を積み重ねることで、やがて宇宙全体に一貫する大きな「理」が見えてくる、と朱子は説きます。

「ジーと見つめていると物の本質がわかる」という主張には、「そんなことあるかい」と言いたくなる気持ちをこらえながら読み進める、というのが正直なところです。(なおじ談)

主観的修養:居敬存養

「慎み深い生活態度を保ち、本然の性を養い育てる」──これが居敬存養(きょけいそんよう)です。

客観的な観察だけでなく、日常の生活態度そのものを整えることで、心の中にある「本然の性」を磨いていく。

この二つの修養を同時に積むことで、人は「本然の性」に近づける、とされます。

客観と主観の両輪で心を磨く──現代の教育論にも通じる考え方といえます。

林羅山の思想:現実主義者としての姿

朱子学の理論をここまで整理した上で、林羅山自身はどんな思想家だったかを見てみましょう。

「啓蒙的儒者」という評価

結論から言えば、羅山には思想的独創性はあまりありませんでした。

「啓蒙的儒者」──朱子学を理解し、広める役割を担った人物、というのが一般的な評価です。

若い時代はガチガチの原理主義的な朱子学者だった羅山ですが、年を重ねるにつれ、現実との折り合いを図るようになっていきました。

羅山の面白さは、その思想的独創性よりも「現実主義」にあります。

南北朝正閏論と方広寺鐘銘事件──志のための妥協

たとえば『本朝通鑑』での南北朝の正統問題について。

羅山は学問的には「南朝が正統」と考えていながら、現皇統が北朝系であることを考慮して、南朝正統を主張しませんでした。

また、方広寺鐘銘事件では、家康が豊臣に「言いがかり」をつけたことを朱子学者として十分知りながら、家康の意図に従って文書を作成しました。

これを「曲学阿世(まがった学問で権力に媚びること)」と批判する声もあります。

しかし羅山には、揺るぎない「志」がありました。

「文事政治を実現するための学校を創設する」──この志のために、自らの主張をねじ曲げることもできる現実主義者だったのです。

👉関連記事:林羅山と方広寺鐘銘事件の謎:林羅山は曲学阿世の学者という評価は正しいか ⑤

現代評価:「曲学」か「志」か

羅山の行動をどう評価するかは、読む人によって分かれます。

「本然の性」と「気質の性」の間で揺れた人間

一つの見方は「朱子学者が朱子学の原則を自ら曲げた」という批判です。

しかし別の見方をすれば、羅山は「理」を知り抜いた上で、「気質の性」に正直に行動した現実主義者だった、ともいえます。

朱子学的に言えば、「本然の性(志・理想)」と「気質の性(現実的判断)」の間で揺れた、一人の人間の姿そのもの、とも読めます。

「理と気」は不可分である──と朱子学は説く。

理想と現実も、また不可分だったのかもしれません。

👉関連記事:林羅山の理当心地神道とは?神儒一致思想で再解釈された神道の本質 ②

よくある質問(Q&A)

Q1. 「理気二元論」を一言で説明すると?

宇宙のすべての存在は「気(物質・エネルギー)」と「理(秩序・道徳原理)」の二つから成り立っているという考え方です。

「気」は物を形作るもの、「理」はその物に宿る道徳的・思想的秩序です。

物理学的な法則とは異なり、あくまで心学・道徳学の概念として理解するのがポイントです。

Q2. 「本然の性」と「気質の性」の違いは?

「本然の性」は、生まれながらにすべての人間に備わっている「正しい道徳・秩序」のことです。

「気質の性」は、外界の刺激によって生じた「情」が影響して形成された、その人固有の性質のことです。

朱子学では、修養によって「気質の性」を磨き、「本然の性」に近づくことを目指します。

Q3. 林羅山は朱子学者として優れていたのか?

朱子学の理解の深さという点では、当時の日本で随一の水準だったと評価されています。

ただし「独自の思想を打ち立てた」というより「朱子学を日本に伝え広めた啓蒙的儒者」という評価が一般的です。

朱子学を政治・教育に応用した実践力こそが、羅山の真骨頂でした。

Q4. 林羅山の「志」とは何だったのか?

「文事政治の実現」と「儒学による学校の創設」が、羅山の生涯をかけた志でした。

この志を実現するために、時に朱子学の原則を曲げてでも幕府の要請に応えたというのが、現実主義者としての羅山の姿です。

方広寺鐘銘事件を「曲学阿世」と断じるか「現実的判断」と見るか──詳しくは⑤の記事で論じています。

👉関連記事:林羅山と方広寺鐘銘事件の謎:林羅山は曲学阿世の学者という評価は正しいか ⑤
👉関連記事:【朱子学・陽明学・古学の違いは何か】、『山鹿素行学(古学)』を視点として 【⑨】

✍️ 筆者紹介|なおじ

茨城県の公立小中学校で35年間、社会科を教えてきた元教師です。

退職後は「歴史・思想・政治」をテーマに複数のブログを運営しています。

歴史上の人物を「授業で生徒に語りかけるように」わかりやすく伝えることをモットーにしています。

難しい思想や歴史の話も、教室で雑談するようなノリで一緒に考えていきましょう。

現在は8つのブログで、さまざまなテーマの記事を書いています。

ドラマ芸能政治歴史スポーツ学び書評

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