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壬申戸籍はなぜ閲覧禁止?差別問題の歴史的背景を元教師が解説

こんにちは、なおじです。

家系図作成で多くの人が直面する壁が「壬申戸籍の閲覧禁止措置」です。

1872年に編製された日本初の全国的戸籍が、なぜ150年以上経った現在も厳重に封印されているのでしょうか。

この記事では、壬申戸籍と差別問題の歴史的背景を、元社会科教師の視点から整理していきます。

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この記事でわかること

  • 壬申戸籍が日本初の全国戸籍として編製された経緯と目的
  • 明治政府が四民平等を掲げながら差別記載を残してしまった理由
  • 1872年から1968年まで96年間にわたる差別利用の実態
  • 1968年に閲覧禁止措置が取られた歴史的背景と部落解放運動の役割
  • 壬申戸籍問題が現代の個人情報保護に与えた影響
  • 家系図作成における壬申戸籍の代替手段と可能性
  • 明治時代の身分制度廃止と実質的差別解消のギャップ
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目次

壬申戸籍とは何か

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日本初の全国戸籍制度の誕生

壬申戸籍は、1872年(明治5年)に編製された日本初の全国的な戸籍制度です。

編製された年の干支が「壬申(みずのえさる)」だったことから、この名称で呼ばれています。

江戸時代まで使われていた「宗門人別改帳」は、寺院が管理し身分別に登録されていました。

これに対し壬申戸籍は、明治政府が主導して居住地を基準に「戸」(世帯)単位で編成した点が画期的でした。

近代国家建設のための国民管理

明治政府が壬申戸籍を急いだ背景には、近代国家としての体裁を整える必要があったからです。

徴兵制度租税制度を全国一律に適用するためには、国民を正確に把握する必要があったのです。

壬申戸籍によって当時の日本の人口は約3311万人と集計されました。

しかし実際には無届けの転出入が多く、相当な誤差があったとされています。

統一されなかった様式と地域差

壬申戸籍には記載内容について最小限度の要件はあったものの、様式は特に定められませんでした

そのため、地方ごとに戸籍の様式が異なることになってしまったのです。

地域によっては、戸の総人員・氏名・年齢・続柄に加えて、職業・宗旨・氏神・犯罪歴・田畑の面積・牛馬の頭数まで記載されたケースもあったといいます。

現代の感覚からすれば、極めて詳細な個人情報のかたまりだったわけです。

なぜ差別的記載が残されたのか

解放令の理想と現実のギャップ

明治政府は1871年(明治4年)に「解放令」(賤民解放令)を発布し、江戸時代の身分制度を廃止しました。

「穢多非人ノ称ヲ廃シ身分職業共平民同様トス」という布告により、法律上はすべての国民が平等になったはずでした。

しかし実際には、一部地域の壬申戸籍に「新平民」「元穢多」「元非人」といった差別的な記載が残されていたのです。

これは明治政府の理想と現実の大きなギャップを示しています。

近代統治を優先した明治政府

元社会科教師として授業で強調してきたのは、解放令が「差別解消」ではなく「近代的統治システム確立」を真の目的としていたという点です。

明治政府は、徴兵制や租税制度を全国一律に適用するため、身分制度を廃止する必要がありました。

しかし、長年続いた差別意識を変える教育や啓発活動はほとんど行われませんでした。

欧米諸国からの圧力に応えるための形式的措置という側面が強かったのです。

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地方の有力者が管理した戸籍制度

壬申戸籍の管理は、役場ではなく「戸長(こちょう)」と呼ばれる地方の有力者が担当していました。

戸長は庄屋や名主など、旧来の地域支配者が務めることが多かったのです。

つまり、江戸時代の身分意識をそのまま持った人々が戸籍を編製したため、一部地域では旧来の差別意識がそのまま戸籍に反映されてしまったわけです。

統一された様式がなかったことも、この問題を助長したと整理できます。

【表:壬申戸籍に記載された主な項目】

項目分類具体的内容地域差
基本情報氏名・年齢・続柄全国共通
身分情報族称(華族・士族・平民)全国共通
差別的記載新平民・元穢多・元非人一部地域のみ
経済情報職業・田畑面積・牛馬頭数地域による
宗教情報宗旨・菩提寺・氏神地域による

96年間の悲劇

誰でも閲覧できた差別情報

壬申戸籍は1872年から1898年(明治31年)まで現役の戸籍として使用されました。

その後も改製原戸籍として長く保管され、誰でも閲覧できる状態が続いたのです。

問題は、この間ずっと戸籍に残された差別的記載が、結婚や就職の際の身元調査に悪用されたことです。

被差別部落出身者かどうかを調べるために壬申戸籍が利用され、差別の再生産が続いてしまったわけです。

部落解放運動と1968年の転機

転機が訪れたのは1968年(昭和43年)でした。

壬申戸籍が身辺調査の手段として利用されようとしていた事件が発覚し、部落解放同盟が強く抗議したのです。

これを受けて、法務省民事局長の通達により、壬申戸籍は全国で閲覧禁止・厳重封印されることになりました。

編製から実に96年が経過していました。

教壇で伝えた歴史の教訓

元教師として授業でこの1968年の出来事を取り上げる際、必ず強調してきたことがあります。

「法律で差別を禁止しても、制度の運用や社会意識が変わらなければ差別はなくならない」という教訓です。

明治政府は1871年に解放令を出しましたが、実質的な解放政策(教育・住居・職業支援など)はほとんど行われませんでした。

その結果、差別が96年間も続くことになったのです。

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