2025年9月– date –
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荻生徂徠は何した人?|わかりやすく言えば【コンサルタントだった江戸時代の天才学者】
40年間社会科を教えてきた身として、生徒から「先生、荻生徂徠って何した人?」と聞かれるたび、いつも胸が躍りました。 荻生徂徠(おぎゅう そらい、1666-1728年)は、江戸時代中期を代表する儒学者・思想家で、古文辞学の確立と政治改革への提言で日本の... -
熊沢蕃山経世論とは📚民を救い煙たがられた江戸時代理想政治学者が現代に問いかけるもの
こんにちは、なおじです。 江戸時代初期、幕藩体制が確立していく中で、「世を治め民を救う」という経世済民の理念を掲げた一人の学者がいました。 彼の名は熊沢蕃山(1619-1691)。 現代で言う政治学者・経済学者・社会学者を兼ねたような存在で、理想的... -
網野善彦が発見📚教科書が教えない職人・商人・芸能民の中世日本史とは?
こんにちは、なおじです。 「教科書の日本史って、昔は『天皇・将軍の政治の話』ばっかり、戦後は『農民中心』でワンパターン...」そんな風に思ったことありませんか? 実は中世の日本には、政治史にも農民史にも収まらないめちゃくちゃ面白い人たちがいた... -
内藤湖南「応仁の乱」時代区分論 – なぜ1467年が日本史の分水嶺なのか
こんにちは、なおじです。 今日は歴史ファンなら一度は耳にしたことがある、**内藤湖南の「応仁の乱時代区分論」**について、分かりやすく解説してみますね。 Amazonプライム感謝祭 内藤湖南って誰? - 東洋史学界の巨人 内藤湖南(1866-1934)は近代日本... -
大谷吉継はなぜ「義の武将」と呼ばれる?石田三成との絆と関ヶ原での最期
戦国時代を代表する美談の一つが、大谷吉継と石田三成の友情物語です。 先日の記事「義の武将・大谷吉継と敦賀の深いつながり|Wギョーブが伝える460年の歴史」では、吉継の敦賀城主としての治世に焦点を当てましたが、今回はなぜ吉継が「義の武将」と呼ば... -
大谷吉継敦賀城主5万石の真実🏯「義の武将」が築いた日本海交易帝国の知られざる11年間
戦国時代の武将として「義の武将」の名で親しまれる大谷吉継。 関ヶ原の戦いで石田三成との友情を貫いた美談で有名ですが、実は福井県敦賀市の城主として11年間も治世を行っていたことをご存知でしょうか? 現在、敦賀市では「Wギョーブ」と呼ばれる異色の...
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