2022年9月– date –
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山入氏の反乱|佐竹氏家督争いと上杉禅秀の乱が招いた常陸分裂の真実
山入氏の反乱 13代の義盛の時代は、佐竹の安定期でした。 しかし、佐竹家存亡の危機が訪れます。応永14年(1407)、13代義盛が43歳の時に嫡子がいないまま亡くなってしまったのです。 当然、跡目を巡って、一族のみならず国人層も交えて紛争が起こりま... -
難台山合戦|常陸最後の南北朝の戦い 小山若犬丸と佐竹氏の運命
常陸の最後の南北朝の戦い 難台山合戦 難台山城とは 難台山城は、現在の笠間市と石岡市の境界にあります。関城が落城し南朝の巨人畠山親房が常陸を去った後、久しく沈黙していた南朝方勢力が、常陸の北朝方に最後の戦いを挑んだ場所です。 難台山城後... -
佐竹・足利氏の相次ぐ死|14世紀中盤に起きた室町幕府大変動
14世紀中盤の大者の死 大物たちの死亡年 いつの時代でもそうですが、14世紀の中盤の大物たちの死も、時代に変化をもたらしました。 佐竹の暗黒時代である鎌倉時代を乗り切り、失った領地回復を進めた佐竹10代貞義が1352年に亡くなります。 その2年後の135... -
歴史と文化の探求:佐竹氏と観応の擾乱の歴史的背景と深い影響
佐竹貞義に続き、足利尊氏の下、常陸守護大名の足場を築いた佐竹11代義篤と、観応の擾乱の関係 -
佐竹氏が武家方・小田氏が公家方を選んだ理由|鎌倉幕府討幕史
常陸に遠流になった後醍醐の臣、万里小路藤房を預かった小田治久、対して佐竹の庶子月山周枢と尊氏の師夢窓疎石の人間関係を頼って武家方となった佐竹。どちらに日が当たるか。 -
佐竹一族が息を潜めて生きた、鎌倉時代140年の不遇
鎌倉時代の140年間、佐竹一族はひたすら息を潜めてこの不遇の時代を生き抜きます。それにしても140年は長い。
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