水戸学– tag –
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維新の源流としての水戸学NO9(弘道館記を書いたのは誰か)
弘道館は、一番最初に出来た藩校ということでも、藩校の中で一番大きかったと言うわけでもありません。 弘道館は、水戸学の中心だったという理由で全国で有名になった藩校です。 -
会沢正志斎『新論』が幕末志士の心を揺さぶった理由|水戸学第8回
新論は1825年に書かれています。出来上がった当時は、藩主斉脩(なりのぶ)によって、公刊を差し止められていました。 -
水戸学の思想家・藤田東湖が3度死を決意した理由と天狗党への影響
東湖は、幽谷の子であり後期水戸学を代表する、政治家にして詩人、そして思想家であるとともに行動家でありました 父、幽谷に負けず劣らずの秀才です。そして有言実行の人です。 -
維新の源流としての水戸学NO6『水戸学にとっての、立原翠軒と藤田幽谷』
1740年代から1800年の少し前ごろまで水戸学は衰退期に入っていました。再び水戸学に火をともし全国に名を知らしめたのが藤田幽谷でした。 -
維新の源流としての水戸学NO4「前期水戸学とは、後期水戸学とは」
大日本史には「紀伝志表」の四つの範疇がある。 前期水戸学は「紀」と「伝」 後期水戸学は「志」と「表」
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